書籍・雑誌

忙しい中、本を読む。

 障がい者差別解消法施行とやらで、研修会があちこち開催されている。そんなこと、勉強してわかるかな?って感じなので、私なりに当事者の方々が書かれている本を手探りで当たってみる。 
 
 Photo_4 ちょうど話題の新書、「目の見えない人は世界をどう見ているか」を注文。こちらは福岡伸一さんの推薦が帯にあり、出版社も気合が入っているのが分かる。
 わたしと言えば、著者紹介の理科系から文科系へ転向という文言にひかれての購入である。紹介は、朝日新聞の書籍紹介かな?アートミーティングの関さんがよく視覚障がいの方を美術館を案内して下さい、というワークをするけれど、アカデミックな視点でその美術鑑賞の姿にふれている章もある。
真っ暗な公園でのブラインドサッカーの練習の話等々、面白い話がテンコ盛りだ。障がいを異文化として面白いと感じる視点、ちょっと誤解しそうな人もいそうだが、そのくらいに健常ということに対して謙虚になれると、世の中の見方が本当に変わってくると思う。
 脳性麻痺の二人が立って楽しそうに話していて、途中で着席となった時に、いたずらで、一方の方がもう一方の椅子を引いて、驚かそうとした時ほど、びっくりしたことはない。
 私たちがやれば、人権侵害レベルの話だろうが、当事者同士でこのおちゃらけ、本当に倒れたりしたらどうするんだろうと心配したが、本人同士にしてみれば、軽いいたずらなんだろう。
 身体障がいの方々のプロレスなんかにも通じる感性なんだと思う。
 視覚障がいの方、なかなか面白いということになって、次に読んだ本が「見えない私の生活術」。こちらは元盲学校の英語の先生だった方が、思い出や今の生活を淡々と綴っている日記調なもの。これが面白かった。
 スーパーでの買い物での差別の話。やさしく買い物を手伝うふりして、目の見えないことをいいことに古い卵やブロッコリーを売りつける話‥、本当にそうだよねえと思う。やさしさの裏には鬼の顔、私たちの知的障がいの現場でも全く同じことであるから。
Photo_5
 恋愛、結婚、妊娠、子育て、主婦に教師‥、たくさんの生活場面での一生懸命さに心打たれてしまう。こんなに一生懸命生きている人がいる。他人のために一生懸命生きている人たちがいる。本当に相互支援だ。
 どうして、私たちは相互支援で生きられないのか!みんな自分のことしか考えていないじゃないか!自分も含めてだけど。そんな悲しさが心の底から湧き上がってくる。
 圧巻は、朝霧裕さんの「バリアフリーのその先へ」。これはインターネット検索かな?出会いで買った本ということになる。
 パラパラめくっていって、目に飛び込んだのは車椅子のヌード写真、ここまでするの?って感じだったけど、読み進めてみればなるほど‥。
 3.11の時の被災の話から話は始まるが、生きていくということにいつでも真正面に向かわなくてはならない日々が刻々と綴られている。
 お手本が無い時代、自分で自分の生き方を捜さなくてはならないこの時代、頼りは自分の感覚である。今は楽しいか?今は心地いいか?今は自分を大切にしているか?誰かと繋がっているという実感こそが、明日への希望である。
 ヘルパーさんとのいさかいで、体重の減る日々‥、私たちの知的障がい、自閉症支援の現場にもつながるエピソードが満載だ。
Photo_6
 そんなわけで、障がい当事者の方の生き方にふれて、ちょっと感傷的になっている自分がいる。
 昨日は、書家の金澤翔子さんのパーフォーマンスをこの飯田の地で見た。
 「障がい者、ダウン症なのにすごい」ではなくて、一生懸命な生き方が私たちよりすごいのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いよいよ年末。

Photo_2

 もう30年以上前のことなのだが、お世話になった先生がいる。その先生、もう80才を越えんとする年令にもかかわらず、今でも宮下のところにお歳暮代わりにたくさんの書籍を送ってくれる。過去もそうだったのだが、今でも不肖の生徒であると思われているのに違いない、その気持ちがこの書籍のお歳暮になっていると思えるのだが、その送られてくる書籍に内容の幅には、いつでも驚かされる。
 今回の秀逸は、この本。本当にやさしく書かれている。この本を送ってくるという気持ちの奥には、難しい精神科の本では、宮下にはハードルが高いと思う気持ちがあるに違いないので、なんだが居心地が悪いのだが、この出会いの有難さ(本というのは本当に出会いで、何の気なしに開いた本が今一番自分の知りたいことだったりする)を考えれば、そんな劣等感は全く気にする必要が無くなる。
 というのは、いま僕らはある強度行動障がいのKさんに毎日悪戦苦闘しているのだが、解離性人格障がいとPTSDとが彼を苦しめていることが分かっていても、いったいどこをどのように突けば有効な支援なのか、見通しを持って支援することができなくて、壁にぶつかっていたとこなのだ。
 そして、郵送されてきた何冊もの本の中で開いた本がこの本。斎藤環さんの担当で、解離とPTSDがまとめられている。
 わずか一項目当たり、20ページ足らず。しかも治療方法まで触れられている。斎藤さんは難しい本もたくさん書いているけれど(宮下にはちんぷんかんぷん)、オープンダイアローグなどに関する発言は、人間力、関係性に未来を託している感じで、好感が持てます。
 他の章も含めて、大いに知的障がい者支援、自閉症支援に役立ちます。もちろんKさんの支援にも論理的な背景を頂くことで、見通しが持てるようになったのです。
 多重人格、それぞれの人格に対して尊敬の念を持って付き合い、決して、邪魔だから消え去って欲しいというスタンスは持たないように‥という記述は、Kさんの猫人格と付き合う時、「今までづっと頑張って来たんだね、これだけ頑張って来たんだからもう休んでいいよ」という支援スタンスを生み出すことができたのです。
 今までは、どうか消えて欲しいと考えて支援をしていましたから、大違いです。
Photo_3
 
面白い本をついでに。生命の神秘を感じさせてくれます。星空を眺めているような気分になります。人は皆、昔は魚だった。せこせこ小さなことに悩んでいるのが、バカバカしくなります。そんな本です。
 皆さま、良いお年を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あっという間に秋ですね。

Dscn0398

 少し凝ってみようと思って、夜中にカメラを持って出かける。新しいアクセス道路を開けるために立ち退きがあって空いた土地に、おそらく種から育ったんだろう、背の低い月見草を見つけた。月見草と言えば、すらっと1メートル以上にも伸びた姿をイメージするのだが、なんとも生まれたての赤ん坊のようなかわいさで、地面に張り付くような形で花を咲かせている。やっぱり夜中に開花しているんだよね、を確認できる大満開だ。背が低くても、花はつけるんだね。
 が、この夜中にカメラを担いでいる姿は、なんとも怪しい風景である。絶対に何かを盗撮しようとしている悪い奴にしか見えない。
 が、フラッシュ撮影で花やリンゴを狙ってみると、昼間の明かりでは絶対に撮れない画像が浮かび上がる。光が届く範囲しか写らないからだ。

Dscn0394

 光が届く範囲だけ、つまり見たいものだけを見ることができれば、本当にきれいな姿が浮かび上がるわけだ。
 これは、なかなか意味深な出来事の発見だった。
 現実には、見たいものだけを見ることができる私たちじゃない、見たくないものこそが見えることだってある、が、見たいものを美しく見るためには、他の映像を消して、そこだけを見つめる必要があるということでもある。

Dscn0400

 鳥瞰的、虫瞰的?ということなんですね。これ、支援論でもありますね。

 さて、ここのところ機会ある毎に、皆さんに紹介している書籍を2冊。ともに自閉症スペクトラム関係です。

 一冊目は、今年から信州大学医学部へいらっしゃった本田秀夫氏の「自閉症スペクトラム~10人に1人が抱える生きづらさの正体~」です。SB新書、730円です。明星での支援にかなり親和性の高い内容がテンコ盛りです。読んでいてワクワクしてきます。明星の実践は、声高に叫んでも、そうたくさんの人は振り向いてくれませんが、神奈川県時代から何千人もの自閉症範疇の方々を幼児から成人まで、見られている方、しかもお医者さんが主張すれば、多くの方々が耳を傾けてくれるというものです。

2014091800004887davincia0001view  やっぱり、小さいころから見ていて、その方が成人になった時にどうなっているかをきちんと知っている方は、こんな発言になるって思います。もちろん背景に適切な支援があるってことが、条件ですけれど。

 「ボトムアップの頑張りは、2次障がい、3次障がいを生む」、その通りです。「トップダウンの育児こそが、自閉症スペクトラムの方々には絶対に必要」、その通りです。‥ってな感じで、共感箇所が次々にあります。

 ○○療法によって自閉症が治ったという人を私は、一人も見たことがない、なんていうのも良いですよね。ちゃんと言いすぎちゃって怖いくらい。

 が、本当に力づけられる書籍であるわけです。

 そして2冊目、こちらはTEACCHプログラム支援の内山登紀夫氏の「ライブ講義 発達障害の診断と支援」です。岩崎学術出版社、2500円です。
 医学的な知識から、臨床的なヒントまで、講義をそのまま書籍にしてあるので、とても分かりやすく、しかも講義の対象が、小児科医、内科医というあまり自閉症に専門的な知識のない方々に自閉症をどう説明していくか、そして、どのような支援が適切であるのか、どのようなアドバイスが適切であるのかを説いているので、多岐にわたる内容で、一つ一つのぶつ切り感は、止むを得ないと思えるのですが、やはり本田氏と通ずる人間観が、良いですね。

51roc5ibtbl_sl500_aa300_ おすすめの支援は、SPELLとTEACCH、これも明星の支援と通ずるところが大きいですね。そういう意味で、やっぱり読んでいると嬉しくなります。
 これからは、やっぱりこっちの方向ですよね。強度行動障がいなんて言われて、大変なってしまったら、戻すのは大変な労力が要ります。自閉症が自閉症のままで、中核的な症状だけを示しているのなら、本当にSPELLとTEACCHでやっていけます。そう思います。

 さて、いつも嵐の大海原を、SPELL+TEACCH+動作法+抱っこ法、こんなコンパスをもって、必死に航海をしている私たちですが、とっても良い追い風が吹いている感じが、こんな書籍を読んでいると通り過ぎていきます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

またー年が過ぎていく・・・。

一年がー才の人間にとっては、ー年/ー才で、100%、60才の人間にとっては、一年/60才で、1. 6%、この違いが、一年をどのくらいの長さに感じるのかに影響を与えているというのは、とてももっともらしい学説であるけれど、30才の時と60才の時の一年の長さの感覚が、半分の長さであるかどうかは、かなり怪しいので、この学説を全て鵜呑みにするわけにはいかないけれど、確かに年令を重ねるごとに一年が早く感じるのは、紛れもない事実である。
そんなわけで今年も、あっという間のー年というわけで・・・。

今年のBest Book。
まずは、「統合失調症がやってきた」松本キック著 イーストブレス発行
おそらく施設職員なんかが、統合失調症が、わかんな~いと思った時に、手にとったら、入門書として最適なのではと思う。統合失調症のことをアカデミックに勉強したい人は、別の本を紐解いてみて欲しいが、統合失調症のハウス加賀谷に理解し、側に居続けようとする松本キックの姿に学ぶことが多いと思う。さらに統合失調症の世界が自分を責めてくる恐怖感に満たされ、身動きがとれなくなっていく姿は、ハウス加賀谷自身が語っているので、感情移入させて同感できるのではないか。

精神医学的には、こんなに明確に過去の幻臭や幻視について語ることができるのは、統合失調症ではないのではないかと主張する方もいらっしやるかもしれないけれど、臨床家にとっては、全くもってそこは問題がない。臨床家にとって必要なことは、ここに苦しんでいる人がいて、どうもその原因は、幼い頃からの過剰適応にありそうで、その回復の道筋は、母親と離れ、漫才という道に入り、人から笑われるという人生に(これは父や母にとっては考えてもいない道で、父や母は、笑われないような立派な道を歩かせるために勉強をやらせていた)飛び込んだ時に、始まっているのだろう。

その後、売れてしまったが故に、その忙がしさの中で、病状は悪化してしまうが、その途上の「脳ミソの故障」と思われるようないくつものエピソードは、この病気を理解していくのにとても重要なヒントを与えてくれていると思う。

「休む」ことの重要さが本当にわかる。酷使してしまった悩ミソは、休ませることが―番なのだ。

疲れやすい脳ミソは、使い過ぎたら故障する。そう思う。
自閉症の方々の脳ミソは、おそらく疲れやすい脳ミソだ。この疲れやすさは、おそらく遣伝性であろう。疲れやすい脳ミソは、あまり悩ませ過ぎてはいけないのだと思う。

と、まあいろいろなことに考えを巡らせながら読める本です。130O円です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高齢知的障害の支援を考える研究会進展中…。

Photo_3   高齢者、介護保険関係の本を何冊か続けて読んでいる。仕事上、どうしても必要になってきていて…、なんていう諸事情は背景にいろいろあるけれど、「必要だから読む」ということが背景にあるおかげで、内容のインプットは、だらだら読みとは大違いの様相である。
 このようなアカデミックな本を読んでいても、読書の楽しみは、小説を読むのとさほど変わらない。「そうなんだよねえ」と同感できたり、「そうだったんだよね」と確認で来たり、「そう考えるのか」と新しい発見があったり。
 エリートという階段を必死に上ってきたドクターが、自分の足跡に疑問を感じて、(階段を登っているときにも感じていた疑問が、年を重ねるごとに大きくなったということだと思うのですが)その後、大きく自分の仕事の方法や方向性が変わっていく、この本の著者も、そんな履歴を持つ方だ。
 人は、年を取らなければわからないことって、多いよね。わかっていると思っていることも、年を取ってからの理解は、まるで変っている、なんてことも多い気がする。
 医療に関して言えば、一日でも一時間でも長生きさせるのが医療従事者の仕事だったはずが、安らかな死を迎えさせることが医療従事者の仕事という、まるで反対のことを考えなくてはいけなくなってしまうのだから。背景には、自分の加齢もある。父親や母親の死を通じて考えることがある。社会が超高齢化してきて、そこへ医療の進歩もあって、今までは助からない人を、生きさせるだけの目的であるならいくらでも延命させることができることで、死を今までとは違う視点で考えざるを得なくなる。…。
 著者は、老衰に向かっている人に対して、どのような医療が適切なのかは、分かっていないという。例えば、一日の摂取カロリーは、今、1000キロカロリーが目安だと、言われているが、著書の勤務する事業所では、一日600キロカロリーで、1年半生きた人がいるという。摂取カロリーを補うための医療処置がますます、患者を苦しめる結果になっているのだという。痰は、点滴の水分が、体が必要としいる量を越えているときに、出やすくなるのだという。
 「食べたいものを食べたい時に、食べたい量だけ食べる」そして、だんだん食べることができなくなって…、それが平穏死である。違う言葉でいえば「餓死状態」。そうすることで、体も表情もとてもきれいであるそうだ。昔でいう「大往生」というやつ。
 読みながら、思い当たることが、次々にある。明星の実践に重なるところが一杯である。
 こんなことを支えている福祉現場には、やはり多くの感動がある。書籍には、そんなエピソーが一杯である。
 他3冊、紹介まで。「ルポ 認知症ケア最前線」「穏やかな死に医療はいらない」「新・私が決める尊厳死」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

グリーフケア…。

 少しお金が苦しかったので、このところ古い本を捜し出してきて、読み返したり、アマゾンで中古本を購入して、読んでいることが多かったのですが、久しぶりに、アマゾンで新品を購入して、読み漁っている。
 個人的には、やっとという感じで、3.11の関係に心が触れることが出来るようになっているのだろう。購入した本は、すべて3.11に触発されるような形で、書かれた著作や救援活動に関するものばかりだ。
41jj5db3sql_ss500__2  復元納棺師 笹原さんの3.11以後の奮戦記だ。最後の方で母親が尼さんであることが、述べられている。「がんばらない」の鎌田さんもそうだが、本当にその人の出自がその人の人生を決めているのだと、今回も強く思うのだ。

 どうして自分以外の人のために、こんなに!と思うとき、その出自によって、何もかもが解けるときがある。その解き方は、こちらの一方的な、押しつけのような解釈であるので、本人が聞いたら、そんなに簡単なものじゃないって、絶対に言われるでしょうが、鎌田さんは、ある講演で、「私はもらいっ子なんです」、しかも「病気がちの母親と、貧しい家庭のその里親は、ほかのことを犠牲にしても、私を大切にしてくれた」とのことで‥、そうかこの人の人生の始まりは、そこにあったのか…、と何もかもがわかった気がしたのです。

 そして今回、尼さん…、そうかお母さんが尼さんか‥、この自分をボロボロにしてまで、やり通すこのエネルギーのもとは、母にありか‥、なんですね。

 事は、きっと単純じゃないですよね。母の姿をみて、自分もああなりたいと思って…、なんてところに答えはないのですよ。そんなに人間って単純じゃない!
 自分が誰かの役に立っている、それをいつでも強く感じることが必要な強迫性が、心の中にあり、それが「尽くす」ことにつながってくるのだと思うのです。結果として、それは、人の役に立つことであるから、結果オーライなわけだけれど、本人の心がいつも健康であるかどうかは、ちょっと疑問?というわけだ。

 自分が役に立っていることを確認せざるを得ない強迫性、これについては、また考えましょう。…ね。

 他の本、「悲しみの乗り越え方」髙木慶子著、「語りきれないこと」鷲田清一著、「女川一中生の句 あの日から」小野智美著。

 涙がこぼれるのを止めようとしないで、読み続けようと思っている。

 

|

あらためまして、明けましておめでとうございます。

 もう新年も、8日、季節感の少なくなった昨今ですが、本日の我が家の朝食は、七草粥。

 実は、七草は揃ってなくて、カイワレ大根だけの一草粥だったのですが、お餅も入って、お粥も入って、鰹節のお醤油味がトッピングされていて、それはそれは、贅沢な一瞬だったのです。

 「玄米食で、ダイエット」の方針の私も、今回は、玄米を捨てて、白米のお粥をしっかりと頂いたというわけです。

 しかし、玄米は不思議、ちゃんと時間になると、空腹感が押し寄せてくるのです。これは、20代に初めて玄米食に取り組んだとき(3年くらいやっていたかな?)から確認されていることですが、本当に不思議ですよ。

 12時に昼食を取ったとする。すると、きちんと夕方6時頃に、突然クーンと、空腹感が襲ってくるのです。健康ってことですよね。この時間帯でしっかり食事をとり、<腹8分目>ことができれば、さらに健康状態が進展するのでしょうが、多くの場合、この時間帯では、食事をとることができないので、「お腹すいたなあ」なんて思って仕事をしているうちに、空腹感が衰退、結局夕食をとることができる8時、9時には、空腹の自覚がないまま、ガツガツト食べて、結局、<腹12分目>の状態に。だからちっともダイエットにならない…。

 実は、並行して<竹踏み>にも取り組んでいる。こちらは、高血圧、コレステロール、内臓脂肪などの対策として、一応取り組んでいるのですが…。

 気持ちいいですよ。…でも、今のところどのくらい効果があるかわからない…。

 さて、最近の読書は、古い本棚から内田樹氏の「日本辺境論」を出して来て、ちょっと思考のトレーニング、そして、内田樹氏のジェンダー批判の対象の上野千鶴子氏の「ケアの社会学」で、そもそも論の思考トレーニング。

 お二人とも、ともに学究の基本は「なぜ?」しかも「根本のなぜ?」を追い求めて止められない人。上野さんはおひとり様で、内田さんはバツイチ。そもそもばかりが気になる人に、共同生活は難しい?なんて思いながら、いつも読んでいる。

 話の内容は、自分の教養ではとても追いつかないけれど、ところどころに、日常的な障害者福祉の実践の琴線に触れる部分が出てくる。それが嬉しい。お二人が、正反対の立場にいるはずなのに、このような体験ができるのは、実はお二人は、あまり違う立場にいないのではないかというアマチュア的感想を感じている。

 内田樹さんの「学び」に関する記述、上野千鶴子さんの「当事者主体」に関する記述、まさに明星学園での「お心主義」の近接である。

 東大はやっぱり頭がいい。全員がそうだと思わないけれど、記憶容量、それを自由に引っ張りだす力、まとめる力、プレゼンの力、近しく付き合っている東大卒の人を含めて、やっぱりと思わせる何かがある。内田さんも上野さんも、きっとすらすらと書いているのだと想像するけれど、どうしてこんなあちらこちらから、自論を説明するために、関連した知識をどんどんと引っ張り出すことができ、自分の言葉にすることができるのかと、圧倒されてしまう。

 まあ、ないものねだりでもしょうがないので…、それはそれとして…。

 今年の目標。仕事に関しては、自分がこうしようというよりも、心をできるだけ「空」にしておけば、向こうから飛び込んでくるものだと思うし…。
 気持ちいいことを捜したい、となれば、今までのレパートリーからすれば、やっぱりテニスに、ギターかな。テニスのヒッティングの快感、オリジナル曲を作りだす時の苦悩と快感、やっぱりもう一度挑戦してみようかな?なんて思っている。

F1000004_1
 お正月。1月3日の皇居です。今年も内堀通りを歩いてきました。箱根駅伝が戻って来る少し前の時間帯です。そろそろ中継の準備が始まる頃の時間帯。薄曇り。

 

|

経済学の本を読む

F1000143

 最近、経済学の本を読んでいる。

 というのは、市場第一主義が破綻して(たぶん破綻していると思うのだが)、この予想外に早い破綻で(うまくいくわけはないとは思ってはいたけれど)、自分自身が戸惑っているからだ。

 さらに、破綻しているのを自覚できないで、さらにそれを進めようとする人たちもいる。

 競争は大事だと確かに思う。自分だって措置費時代のぬるま湯を批判して、努力が報われる制度が必要だと主張してきたのだから。

 しかし、行き過ぎた競争は、格差を生み、つながりを消す。

 この「行き過ぎた」というところの味付けがとても難しいわけだ。

 東大名誉教授 宇沢弘文氏 ローマ法王の回勅にも大きな影響を与えた人物なのだそうだが(初めて知った…)、彼は、社会的共通資本という概念を提案する。山、川などの自然環境、もちろん空気や海も含まれる、そして道路、建物などの社会資本、さらに教育、福祉、医療などの制度資本、この三つが、社会的共通資本だと定義する。

 そして、この社会的共通資本は、社会正義のもとで一人一人に平等にサービス提供されなければならないと考えた。市場原理に任せておけば、全て良くなるという範疇のものではないと考えたのである。

 神野直彦氏、東大名誉教授。宇沢さんの門下生ではないかと、本を読んでいて思う。岩波新書「分かち合い」の経済学。人間らしく働き、暮らすことができる経済学を提案する。フィンランドでは、他人を信頼しているかの問いに七割が信用しているであるが、日本は三割、利用される恐れに関する質問には、日本では八割が利用される恐れ、しかし、フィンランドではそれが二割、人間は親切かに関する問いには、フィンランドは八割が親切、日本では四割しか、そんなアンケートを引用しながら、絆の衰退が、経済の衰退さえも招く、と主張している。

 内橋克人氏 経済評論家 小泉総理時代から市場第一主義の弊害、危険を説く。

 僕らの業界においても、絆は次第に薄れて来ている。

 支援費制度から始まる契約制度は、事業者と利用者の分離である。そして、行政責任との分離。自立支援法では、新体系移行が容易かった事業者と困難な事業者、区分判定が高く出た人と出ない人、うまく制度にのれる事業者と乗れない事業者…。

 自己選択と自己責任がセットで動く中で、自分さえうまく行けばイイ、という発想にどうしてもなって行く。

 それは、絆を薄くする。

 新しい経済学、もう少し勉強しようと思う。市場第一主義の本を読んでいるより、ずっと心が温まる。

 橋下大阪府知事の大声は、この市場第一主義に染められ、自分だけ良ければそれでいいと他者の憂いに気がつかなくなった者の悲しい怒鳴り声である、と感じる。

F1000142_1

|

ノーアポイントの日…

 久しぶりに、数ヶ月ぶりかな?、そんな日曜日、思い立って子供たちが、まだ小さい頃によく歩いた「やまびこマーチのコース」を歩いてみようと思った。最近も歩いたことがあるけれど、五キロのふれあいコースという親子、障害者対象のもので、ちょっと物足りなさを感じていたところだった。

 ホームページで検索すると、本年度の開催日は4月23日、24日。これは先駆けて歩いてしまえということで、早速8時30分、出発である。飯田市中央公園出発。本日は公園は桜祭りということだったが、このところの朝の冷え込みが効いたのか、開花は4月2日、昨日である。見上げると中央公民館前の桜が、わずかに花をつけている。

F1000063
 ちょっとワクワク、ドキドキ。「春なんだよなあ」という感じです。鬱々と暗い気持ちを引き摺っていてもしょうがないのである。満開の桜の下をワクワクドキドキ、そしてザワザワ、ある意味躍動する気持ちで歩いた20年前のことを心が思い出していた。

 10キロコース、頭が映像を覚えている。確か、ブルーベリーのの脇を通り過ぎた、学校の横の急な坂道を降りたっけ?浄瑠璃の舞台は、神社の森の中だった、シェルのガソリンスタンドの脇を右に曲がった…。

 歩くごとに、その映像が確認できて楽しい。時々携帯のGPSを確認してはコースを確かめる。

F1000064
 慣れぬ山道に入ってみる。これでジャスコの方に降りるのだ。

  そういえば、やまびこマーチだけでなく、子どもたちとはよく風越山にも登ったものだ。
 そんな景色を思い出した。

 ここまでで歩行距離約6キロ、携帯のGPSには、平均速度5.4Kmとなっている。なかなかのスピードである。

 村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでいる。とてもこんなふうには走れないが、「歩くことについて語るとき…」くらいの気分は感じることができる。走り続けていれば、前に進み続けるのと同じように、歩くことを止めなければ、必ず前に進んでいるからだ。目標に必ず近づいているからだ。

 学園からメールが入ったり、電話が入ったり、公園でしゃがみこんで返信をしたり、神社で深呼吸をしてみたり、かれこれ14Km、3時間のウォーキングになった。

 そうそう、別件。車にステッカー貼りました。自閉症啓発のものです。アマゾンで手に入るところがすごい。F1000065_2

|

研修会の前に、SAにて。

2011_jan_nishikoma 

 駒ケ岳SA、良く晴れた日、ここからはよく雪景色の西駒を見上げることができる。駐車場が程良く空いていて、携帯を構えながらふらふら歩いていても、事故の心配も、変人と思われるような心配もない。結局、だんだんバックして、駐車場の隅、そこでやっとこのアングルとなる。

 電柱や街灯がほとんど入り込まないアングルとなる。

 西駒の手前が、宝剣岳、頂上が確か一畳~弐畳程度の広さで、この辺の中学生は、誰でも2年生の時に登山を経験するのだが、この2畳ほどの広さのところに、足がガクガク震えるのを我慢しながら、顔では笑って登るのが、男の子の勲章だった。

 山小屋に頭と足を交互にし、仰向けでは全員が寝ることができないので、身体を立てて、側臥位で寝て、しかも相手の足が顔の前、それでもすっかり熟睡できたのを覚えている。

 山小屋のご飯は、気圧の関係で、芯が残っていたのも、何となく口の奥の方で覚えている。

 今はロープウエーで登り、宿泊なしの日帰り登山になっている。安全や日程、現代中学生の体力、いろいろな課題はあるのだろうが、そんなんじゃ思い出にならないよなあ…と思う。足が臭いのも思い出である。

 これから行くある施設の研修会は、ワークを中心として、心を自由にする練習だ。僕らよりも断然イメージの世界で生きている知的障害や自閉症の方々の心と共振するのには、僕らの心の自由さが何よりも大切であるからだ。自分自身の身体の声や心の声を感じることができなければ、絶対に彼らとは共振できない。

 今回のワークは、性被害者の方々の治療プログラムからいくつかパクらせてもらってるいる。(森田ゆり著 癒しのエンパワメント 築地書館)

 「桃」からは「母」を、「スリッパ」から「家庭」を共感を持って、連想できる力だ。

 こんな研修会は2時間があっという間だ。この時間の楽しさを知的障害の方々のおつき合いの中で実際に味わえることを、実感させることができれば、それで研修は成功である。

 この研修がイントロになって、次の研修につながるシステムをいま考え中だ。これが新年度の課題。目標。3人でチームを組んで、新しい施設研修プログラムを作り出そうと思っている。

|